豊田文化賞


寺 光彦(テラ ミツヒコ)

1955年(昭和30年)デザイン時代に先駆けて、第1回ジェトロ海外派遣意匠改善研究員として米国に留学。帰国後は製品市場におけるデザインの重要性を提唱し、全国各地の地場産業のデザイン指導にあたるなど、製品デザインの第一人者として活躍。その功績から1975年(昭和50年)名古屋造形芸術短期大学、同大学教授、1987年(昭和62年)から同学長に就任し、多くの学生を社会に送り出すとともに、中部デザイン協会理事長をはじめ、県内の都市景観や街づくりなど主導的役割を果たした。こうした活動は、多くの市民の知るところとなり、豊田市都市景観審議会委員をはじめ多くの公職に就任。文化に対する深い造詣と高い見識でリーダーシップを発揮し、豊田市の文化に大きな足跡を残した。さらには豊田市美術館の構想づくりに参画し、1995年(平成7年)初代館長に就任。巧みな経営手腕で豊田市美術館の名声を高めるとともに、美術館と市民の橋渡しをするなど、豊田市を代表する文化人として、豊田地域の文化振興に多大なる功績を残した。

豊田芸術選奨


永田真理子(ナガタ マリコ)

ヴァイオリニストとしての高い才能を生かし、市内の音楽団体のコンサートマスターとして技能を発揮され、数々の演奏会を成功裏に導くなど、演奏家として、その芸術性は高く評価されている。演奏家の傍ら、音楽団体の設立や若い芽を育てる会の企画運営にも力を注がれ、多くの演奏家の卵を育てたことは豊田市の音楽文化の振興と発展に多大なる功績を残した。

豊田文化功労賞


高橋傳次郎(タカハシ デンジロウ)

1989年(平成元年)豊田民謡協会の発足と同時に、渡辺民謡会として財団法人豊田文化協会に加入。その後、髙橋流渡辺会に改名。会主として会をまとめ、毎年「民謡の集い」を主催し、市内の各種イベントや老人福祉施設等の慰問演奏にも積極的に参加するなど、民謡と津軽三味線への想いを多くの人たちに届けた。さらには、伝統文化普及のためには、文化を先導する仲間や団体のまとまりが必要と、豊田民謡協会の結束に力を注ぎ、「新とよた音頭」制作への参画、「市民邦楽オーケストラ演奏会」の企画・出演などを通して、邦楽関係者との連携を広げた。また、小中学校和楽器体験指導者派遣事業、とよた市民野外劇、ダービーシャー親善演奏会など豊田民謡協会の代表として積極的に関わるなど豊田市の伝統文化の振興と発展に寄与した。


古屋和子(フルヤ カズコ)

東京を拠点に語りの活動を全国展開する中、1991年(平成3年)豊田市での活動が、寺部八幡宮の「ひとり語り」から始まった。「夏休みこども博覧会」「とよたストーリーテリングフェスティバル」など文化事業のアート・ディレクターとして、国内外から各分野のエキスパートを招き、斬新で奇抜な企画を提案するとともに自らも語りを通して、喜びを分かち合い、生きる素晴らしさを伝えた。また、市民からなる実行委員会を育成するなど、永年にわたり豊田市の語りや子ども文化の礎を築き、市民文化の振興と発展に寄与した。


トヨタ生活協同組合 生協ポップス(トヨタセイカツキョウドウクミアイ セイキョウポップス)

1956年(昭和31年)トヨタ生協に勤める有志職員が中心となり、「軽音楽同好会」を結成し、社内で音楽活動を始める。バンド名をアメリカの有名バンド「ボストンポップス」にあやかり、「生協ポップス」と命名。
娯楽の少ない時代、トヨタ自動車や関連企業の寮祭、自治区の行事での生演奏は、観衆を魅了し大変な人気を得た。各種パーティーや結婚式での演奏依頼も多く、ジャズやポピュラー、民謡から演歌まで幅広いレパートリーで、親しみのある楽しいバンドとして大衆から親しまれるなど、地域に密着した社会人バンドとして、永年にわたり、豊田市の音楽文化の振興と発展に寄与した。

豊田文化奨励賞


西村洋美(ニシムラ ヒロミ)

3歳でヴァイオリンを始め、愛知県立明和高等学校音楽科を経て、東京音楽大学音楽部器楽科を卒業。桐朋学園大学院大学音楽研究科演奏研究専攻(修士課程)を修了。在学中より日本演奏家コンクールで最高位を受賞するなど国内の主要なコンクールに出場し、上位入賞を果たす。また、霧島国際音楽祭などの音楽祭の参加や春日井交響楽団などオーケストラと共演するなど活発な演奏活動を行う。2009年(平成21年)大学院時代の仲間と演奏グループ「Trio Klang(トリオ クラング)」を結成しデビューするなど、新進気鋭のバイオリニストとして将来の大成が嘱望される。


子ども造形研究センター リトルアートスクール(代表 西山直子)
(コドモゾウケイケンキュウセンター リトルアートスクール  ダイヒョウ ニシヤマナオコ)

幼児から小学生を対象に絵画や工作などの造形教室を市内数ヶ所開設し、造形活動を愛する多くの子どもたちを卒業させてきました。子どもたちの五感をふるに生かし、自分らしい表現ができるよう一人一人の良さを引き出す指導をモットーに、年1回の作品展では、見る人たちを純真で驚きのある世界へと誘い、周りから高い評価を得るなど、子どもたちの個性や創造力を育む造形教室として将来の発展が期待されている。


豊田フィルハーモニー管弦楽団 (代表 谷上正明)
(トヨタフィルハーモニーカンゲンガクダン ダイヒョウ タニカミマサアキ)

2000年(平成12年)第2期豊田フィルハーモニー管弦楽団として再出発。定期演奏会やファミリーコンサートの2つを柱に演奏活動を継続させ、意欲的な団員たちにより、活発な団活動が運営される。2006年(平成18年)第2回とよた市民野外劇で演奏するなど全市的な催しにも積極的に参加。2009年(平成21年)世界中が注目する指揮者の一人山田和樹氏とトップレベルの独唱者を迎え、永年の夢だった市民オーケストラと市民合唱団よる「第九」を実現するなど、市民レベルの音楽文化の振興と発展の担い手として、ますますの活躍が期待される。


文化振興財団功労賞


江島風葉(エジマ フウヨウ)

永年にわたり書道に造詣を深め、豊田書道連盟の理事として、研究部長、事務局を務め、会の運営や多くの後進の育成にあたるなど、地域の書道文化の振興と発展に多大な功績を残した。


大谷幸子(オオタニ サチコ)

永年にわたり俳句に造詣を深め、「松籟」同人をはじめ、市民俳句会の代表として、会の発展のために貢献するなど、地域の短詩型文芸振興に多大な功績を残した。


加藤嘉巳(カトウ ヨシミ)

永年にわたり洋画に造詣を深め、豊田美術連盟の役員として、会の運営や多くの後進の育成にあたるなど、地域の美術文化の振興と発展に多大な功績を残した。


近藤志風(コンドウ シフウ)

永年にわたり華道に造詣を深め、峯月流の華道教授として、会の運営や多くの後進の育成にあたるとともに、地域の伝統文化の振興と発展に多大な功績を残した。


齋藤健夫(サイトウ タケオ)

永年にわたりハーモニカ音楽に造詣を深め、指導者として市内交流館などに教室を持ち、ハーモニカ愛好家を育てるとともに、ハーモニカ演奏の素晴らしさを多くの人に広めるなど地域の音楽文化の振興と発展に多大な功績を残した。


芳琳美生希(ホウリン ミユキ)

永年にわたり日本舞踊に造詣を深め、芳琳流の家元として、多くの後進の育成にあたるとともに、舞踊による施設訪問をはじめ、地元での巫子舞の指導など、地域の伝統文化の振興と発展に多大な功績を残した。


森 博子(モリ ヒロコ)

永年にわたり短歌に造詣を深め,逢妻短歌会の会長を務め、市民総合文化祭短歌大会・市民合同歌集「欅」の発行等に貢献し、地域の短詩型文芸振興に多大な功績を残した。


矢田澄子(ヤタ スミコ)

永年にわたり茶道に造詣を深め、豊田茶友会の役員として、会の運営にあたるとともに、茶会の席主や茶道の師として多くの後進の育成にあたるなど地域の伝統文化の振興と発展に多大な功績を残した。


特別賞・感謝状


関谷節郎(故人)
(セキヤ セツロウ)

豊田市ジュニアマーチングバンドの名誉副団長を務め、練習会場の確保など安定したマーチングバンド運営に貢献された。また、地方都市にクラシックバレエを根付かせようと、NPO法人豊田シティバレエ団の理事長に就任し、国際的に活躍するバレリーナを輩出するなど地域の文化に多大な貢献をされた。


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